2009年11月07日

だて男B海の幸レストラン

海鮮の幸レストラン  海の幸レストラン

午後一時を少し過ぎた頃、バルセロナ市内の目抜き通りを歩いているとき目にとまった、小奇麗な海の幸専門のレストランに入った。

日本の寿司屋のそれよりひと回り大きいガラスケースの中に、地中海産と思しき魚介類が行儀よく並んでいる。

三千夫は大振りのエビと、日本では見かけたことのない魚を指で示し、それから白ワイン
を注文した。

値段は分からなかったが、一万円をでることはよもやあるまい、という心づもりだった。

国の内外を問わず、旅先での食生活に関して、三千夫には一つの流儀がある。

訪れた土地で、3日に1度は、少し値が張りそうでも一流のホテルかレストランで、食事をとることだ。

そして、海の幸や山の幸にその地方の特産品があれば、まずそれを注文する。

他の8食は、腹さえ満たせれば結構。



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2009年11月01日

だて男Aピカソ美術館

ピカソ美術館.jpg  ピカソ美術館

トレドへの列車に乗り換えるスペイン人夫妻と再会を約して別れた三千夫は、駅構内のカフェーで軽い朝食をとって、雪のちらつくバルセロナの街へ出た。

古代ローマの植民都市として発展してきたバルセロナは、奈良や京都が及びもつかない長い歴史をもつ。

駅近くに見かけた三階建ての小さなホテルでチェックインを済ませると、カウンターにあった市内観光地図を頼りに、当座の目当てであるピカソ美術館
を目指した。

途中、コロンブスが、黄金の国ジパングを目指して出航したときに乗った、サンタ・マリア号の実物大模型という『コロンブスの船』が繋がれている海岸で、人だかりがしていた。

何事かと気にはなったが、当日、ピカソ美術館は午前中で閉まると聞いている。

先を急いだ。

美術館は規模こそ小さいが、青の時代を中心に、ピカソの若い頃の作品が揃っている。

大作は、ない。

多くが、ピカソの家族やピカソ自身が寄贈した作品だそうだ。



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2009年10月26日

だて男@国際列車

バルセロナ駅.jpg  国際列車


夕暮れ時に、イタリアのジェノバ駅を発車した国際列車は、コートダジュールの長い夜の闇を走り抜け、明け方の、薄明にしだいに浮かび上がるスペイン・カタロニア地方の赤茶けた岩肌を縫って、午前7時近く、バルセロナ駅に静かに滑り込んだ。

雪が舞っていた。

大滝三千夫は、ジェノバからずっと五十恰好のトレドに住むというスペイン人夫妻と、同じコンパートメントに乗り合わせていた。

車窓に目をやった妻が、顔に喜色をたたえ、まだ目の覚めきらない夫の肩をつついた。

そして二人で、大きなジェスチャーをまじえ、子供のようにはしゃいでいる。

窓の外に、雪が降っているからだ。

一月とはいえ、温暖なカタロニア地方では、近年にないことという。




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2009年10月19日

B直実と敦盛

熊谷直実・平敦盛供養塔 直実と敦盛

直実が、敦盛の首を取ろうと顔を仰向けると、意外にも薄化粧をした16、7歳の美少年。

息子の直家と同じ年恰好の貴公子、平敦盛であった。

わが子の顔を思い浮かべた直実は、もはや敦盛の首をとる気にはなれない。

今朝の平家方との攻防で、直家が浅い手傷を負っただけで、父である自分はひどく動揺し、苦しんだ。

少年が討たれた、と耳にした敦盛の父上は、どんなにか嘆き、悲しまれることだろう。

直実は、「お助けしよう」と申し出る。

だが、敦盛は「お前の手柄になるぞ。早く首を取れ!」と言い放つ。

敦盛を手にかけた直実は、武士である身を悔やみ、袖を顔に押し当てて男泣きに泣くのである。

ほどなく、世をはかなんだ直実は出家し、法然に帰依した。



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タグ:敦盛 法然
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2009年10月12日

A熊谷次郎直実

熊谷次郎直実.jpg  熊谷次郎直実

以後、義経が瀬戸内海を西に平氏を追い詰めるが、その軍に熊谷次郎直実 という坂東武者がいた。

功名心にはやり、手柄を立てたくてうずうずしている。

息子の直家とともに一の谷城攻撃に2度も先陣を切るが、敵将を討ち取れない。

そうこうするうち、世に名高い義経の『ひよどり越え』で一の谷城は落ち、平家一門は、 海に浮かぶ軍船の方へ逃げていく。
 
直実が波打ち際に馬を進めて沖を眺めやると、立派な身なりの若武者が、船 のほうへ向かっている。
 
「敵に後ろを見せるとは卑怯ですぞ」

呼び止めると、若武者はすぐに馬の向きを変え、直実めがけて引き返してきた。

しかし、都風の若者は、坂東に聞こえた豪傑・直実の敵ではなく、簡単に組み敷 かれる。
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2009年10月05日

平家物語@平家にあらずんば

平家物語.jpg 平家にあらずんば

祇園精舎の鐘の声  諸行無常の響きあり      

沙羅双樹の花の色  盛者必衰の理をあらわす
 
腹の底に響きわたる荘重な調べではじまる『平家物語』は、古代から中世へと移り行く歴史の波間に浮き沈みした源平双方の多様な人間模様と、幾多の合戦の場面、そして悲劇的な運命に翻弄された女性たちの哀話を織り交ぜなが ら、「平家にあらずんば人にあらず」と、うそぶくほどの栄華を極めた平家一門が、壇ノ浦の藻屑と消えるまでの67年間を、無常観をたたえながら叙情的に綴っ ている。
 
寿永2年(1183)、以仁王の令旨によって平家追討の挙兵をし、平家を都から追って入京した木曾義仲は、半年後には鎌倉方の源範頼・義経に敗れ、あえな い最期を遂げた。

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2009年09月29日

姉と弟B二上山

二上山 二上山

大津24歳の秋であった。

大津辞世の歌。
 
●百伝う  磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠れなむ 万葉集 巻三
 
それより少し前、死の危機を予感した大津は姉、大伯皇女に別れを告げるため、伊勢神宮に馬を飛ばす。

幼くして母と死別した姉と弟の、実に13年ぶりの再会であった。

苦悩する弟を、姉は限りないやさしさで包みこむ。

翌朝、姉と別れた大津はある決意を胸に秘め、飛鳥の都に帰っていく。

 
弟を思う姉の真情には、なぜか、そこはかとない哀れが漂う。

大津の刑死を嘆く大伯の絶唱。
 
●うつそみの ひとなる我や 明日よりは 二上山を いろせとわが見む 万葉集 巻二
 
大津はいまも奈良盆地の西、二上山に眠り続ける。

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posted by asaborake at 10:05| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

姉と弟A大津と草壁

伊勢神宮pg 伊勢神宮

わが国最古の漢詩集『懐風藻』の代表歌人でもあった。

『日本書紀』には、「詩賦のおこり、大津にはじまれり」とある。

姉の大伯皇女は父・天武帝の命で、13歳のときから斎王として
伊勢神宮に仕えていた。

大田皇女亡きあと天武の皇后になった大田の妹、のちの持統天皇は、病弱で凡庸なわが子・草壁皇子にくらべて格段に優れ、英雄的な風貌すらもつ大津を憎む。

古代の皇位継承は、血で血を洗う修羅場をくぐるのが常である。

持統は天武が死ぬと、謀反が発覚したとの理由で大津を捕らえ、裁判にもかけずに処刑した。

自分の腹を痛めた草壁を、皇位につけるためである。

 
posted by asaborake at 23:05| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月17日

姉と弟@大津皇子


大津皇子の万葉歌碑.jpg  大津皇子の万葉歌碑

姉と弟。

この何の変哲もない言葉に、私は妙に心を動かされる。
 
私の心の中の姉はやさしくもの静かで、詩歌管弦のたしなみが深い。

弟はとても姉想いだが、時として元気があまって世間を騒がせ、美しい姉を困らせる。

姉は心を痛め、ハラリと涙を落とすのである。

 
『古事記』や『日本書紀』が編まれていた七世紀の末ごろ、天武天皇と大田皇女とのあいだに、大伯皇女と大津皇子という姉弟があった。

大津は文武両道に優れ、宮廷のホープ。

日本の漢詩は大津にはじまる、とさえいわれるほどだ。
             


         
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posted by asaborake at 19:20| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月09日

更級日記C千年の風雪


ひそかにロマンスを期待していた宮仕えには馴染めないまま、気の進ま ない相手と結婚させられた。

光源氏も宇治の大将も、ついに少女の前には現れず、少女は夕顔にも浮舟にもなれなかった。


晩年は家族とも別れ、孤独な生活の中で50余年の人生をひっそりと閉じる。

夢見がちな菅原孝標の女は、現実に裏切られ続けた。

人生は一場の夢、 とは言いながら、何びとも夢に生きることはできない。

彼女の悲劇もそこにある。

だが、夢と現実のギャップに傷つき苦しんだからこそ、『更級日記』という千年の風雪に耐える作品を生み出したのであろう。
posted by asaborake at 18:53| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする