2009年12月29日

いにしえに迷うBローマの闇路

 トレビの泉.jpg トレビの泉

その青年と、トレビの泉に近いレストランで夕食をとり、映画で有名なテルミニ(終着駅)前のホテルへ帰ろうとドアを押した。

外は既に暗く、夜風は肌を刺すほどに冷たかった。

しかし、日中何度か歩いているし、イタリア料理に舌鼓を打ったあと、一杯機嫌で弾むような足取りで帰途についた。

ヨーロッパの古い街には所々に広場があり、それが散歩のための格好の目標になる。

だが、その時に限り、行けども行けども目当ての広場に行き当たらない。

ワインの酔いもさめ、弾んでいた気持ちもしだいに焦りに変わってきた。

真冬の異国の闇路、心細さが募ってきた。

道を間違えたのだろう。

きっと、とんでもない方向に歩いているんだ。

あたりは真っ暗闇。

心もとなさと焦燥にかられ、しぜん急ぎ足になっている。

古い石畳やアスファルトに響く自分の靴音が、不安をいやます。




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2009年12月26日

いにしえに迷うAルネッサンス

システィナ礼拝堂.jpg システィナ礼拝堂

その日、カトリック教の総本山、サンピエトロ寺院のシスティナ礼拝堂を訪れていた。

礼拝堂を埋め尽くすように描かれているミケランジェロの祭壇画『最後の審判』や天井画『天地創造』をはじめ、ルネッサンス絵画の、あまりにも力強く、生々しい人間描写に圧倒されて辟易していた。

日本人の手になる絵画で、これほどに人間の肉体と情熱を強烈に表出した作品は、古今を通じて見当たらない。

狩猟民族のバイタリティであろうか。

中世の束縛から開放され、自我と現実の世界を発見したルネッサンス という時代性であろうか。

疲れきった感性を癒すために、狭くて暗いラセン階段をのぼって屋上に出た。

大滝三千夫.jpgほてった頬を風にあてて、心地よい開放感にひたりながら、冬枯れの、寂寥としたウァチカン市国とローマ市街を望見していると、一人のイタリア青年が声をかけてきた。

ギリシャ 同様、イタリアにおいても過去の栄光にひれ伏し、現在を生きる人々が心なしか悲しげに見えたのは、旅行者の感傷に過ぎないのであろうか。

                                              
 ローマが主舞台の09年の映画2作 アマルフィ 女神の報酬

天使と悪魔 Angels & Demons ロン・ハワード監督

   ハリウッド映画が1本105円(税込)で見られる
 gooの動画配信サービス「シネマ・コンプレックス」   
 







NHK『坂の上の雲の主題歌を歌っているサラ・ブライトマンです。
 
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2009年12月21日

いにしえに迷う@奈良 ローマ

 いにしえに迷う

いつのころからか私は、奈良の地をそぞろ歩くことを無上の楽しみにしている。

何がそうさせるのか、私自身よく分からない。
 
けだし秋篠寺の、匂うがごとき
伎芸天への遥かな憧れか。

香り高い天平の清浄を今に伝える、唐招提寺への果てしない夢か。

法隆寺夢殿に佇立する、いくたの謎に包まれた、救世観音の神秘へのロマンティシズムか。

はたまた、大和路にひょっこり出くわす野仏の無心な表情の懐かしさか。

とにもかくにも、いにしえの都への憧憬の去らぬ日は、一日たりとてないのである。

万葉集にみるごとく、伸びやかにして素朴、自由にして大どかな奈良の、屈託のない光と空気は、王朝風のきらびやかさ、しかつめらしい格調と規範、禅宗的な、ある種の心構えを要する森厳さを漂わす京都のたたずまいとは違う。

いわんや、ヨーロッパ文明の源流ギリシャ
ローマの、人を寄せ付けぬほどに偉大で、冷徹なまでに理知的な古跡とは、まったく趣を異にするといってよい。

だいぶ以前のことになるが、ほぼ時期を同じくして、奈良と
ローマで、真冬の夜道に方向を失い、途方に暮れたことがある。

ともに東京大阪とはちがい、夜は暗いのである。


        


     

 唐招提寺金堂、創建以来初の一般公開 国宝



こちらもどうぞ→
ネット社会、その光と闇を追うー











 


 
posted by asaborake at 20:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

セキセイインコ B

ekod_maimai_07.jpg

またしても、礼儀をわきまえぬ人間どもの笑い声がする。

飛んでは落ち、落ちては飛んでいるうちに、さすがのピーも疲れてくるのか、不時着から離陸までの間隔が次第に長くなる。

長くなるとにわかに人間の子供の関心を呼ぶ。

空を飛べない哀れな人の子は、飛び立つ気配のなくなったピーを捕まえようと、2本の足で歩き出す。

そろりそろりと足音を消して近づいていく。

「ビビッ!」。

ピーはけたたましい叫びを上げて怒る。

ピーを包もうとした小さな、柔らかい手を尖った爪でひっかく。

ローマ人の鼻のような鋭いくちばしで噛む。

仰天した人の子は、ピーを振り払おうとする。

「ワーン、痛いよぉ〜。」

今度は、人の子が泣き出す番だ。

人間だって万物の霊長、空こそ飛べないが泣くことぐらいはできる。


わが家にこれまでなかった種類の笑いをもたらし、ひととき楽しませてくれたピーは、ある日、人間どものわずかなスキをついて大空へと旅立っていった。
posted by asaborake at 16:25| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月02日

セキセイインコA

hana0720.jpg 

「ピーちゃん、コンニチワ」

娘が、あいさつをすると、ピーはキョトンとした風情で小首をわずかにかしげ、愛嬌たっぷりに応じる。

そして、「あんたがた人間は威張っているが、こんな颯爽としたマネができるかね」と言わんばかりに翼を大きく広げ、鷹揚に羽ばたく。

セキセイインコにも運動が必要であろう。

時々、かごの鳥を外へ放った。

しかし、部屋の中を飛行したかと思うまもなくゴツン。

透明な物体に頭をぶつけては、さも悔しいといった顔をして、羽をバタバタさせながら落下していく。

こんなはずではない、と態勢を整えようとすると、空を飛べない人間どもが笑っている。

何ということだ。

笑う前に羽ばたきの一つでもやってみることだ。

自分のできないことで他人の失敗をはやすのは、人間どもの悪いクセである。

キット目を上方に向け、黒い模様のわずかに残った黄色の翼を武者震いさせると、ふたたび離陸する。

しかし、水平飛行に移ろうとしたとたん窓ガラスに正面衝突。

またまた急降下。
posted by asaborake at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする